マクラーレンホンダ不振の原因を考えてみた

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2015年GPシーズンはチーム創設以来の悪い結果に終わる

マクラーレンホンダ、2015年F1グランプリシーズンの成績は、コンストラクターズタイトルが、マクラーレンチーム創立以来のワースト9位と言う悪い結果となって、GPシーズンを終えました。

ドライバーズタイトルは、ジェンソン・バトンが16位、フェルナンド・アロンソ17位と言う結果で終了しています。

決勝の成績は、7月の第10戦ハンガリーGPでの、フェルナンド・アロンソ5位が最高の順位で、ポイントが獲得出来る10位までにゴール出来たのが、GP全19戦中ハンガリーを含めて6戦となっています。

リタイヤ数も、2人のドラーバーが共にリタイヤしたのが4戦で、出走せずを含めて、どちらか片方のドラーバーがリタイヤしたのが4戦となっています。

エンジン以上にダメだったのがシャーシの性能

マクラーレンホンダ不振の原因となる一つは、確かに2015年より復帰したホンダエンジンンの、信頼性とパワー不足には否めない一面があったと思います。

ホンダの技術陣が認めるように、開発期間が足りないままF1参戦が決まってしまい、実戦投入されたエンジンは、トラブルが続出し思うようなパワーアップを果たすことが出来なかった。

現在のレギュレーションでは、以前のマクラーレンホンダ黄金時代ように、自由なエンジン開発は認められていないために、簡単に改良することは出来ないようになっています。

これは、F1が競争力の平均化を図ろうとしたルールで、資金力があるチームが有利にならないようにと、開発とテストを一定の定められたルールの中で行うことを取り決めています。

そのため、シーズン途中で、この設計ではダメだと解っていても、使い続けるしかありません。

ホンダエンジンのダメだった部分は、エネルギー回生装置(MGU-H)の性能不足で、これを解消するには、エンジンそのものを設計し直す必要があり、現在のレギュレーションでは、当然認められる変更ではありません。

ホンダはMGH-Uの開発を諦め、エンジン本体のパワーアップに力を注ぐことになります。しかしMGH-Uの能力の差は、エンジン本体だけの開発では、容易に埋める事が出来ませんでした。

それにも係わらず、マシンは最終戦に向けてキレのある走りをみせるようになり、最終戦のアブダビGPでは、フェルナンド・アロンソが52週目にファステストラップ3位となる、1.44.796のタイムを出しています。

これは、マクラーレンがレースごと毎回のように、空力パーツを持ち込みアップデートを行って来た結果だと言われています。

つまり、マクラーレンホンダMP4-30は空力に弱点があり、トップチームに大きく後れをとっていることを物語っています。

マクラーレンチームは、ホンダエンジンを搭載する前の2014年シーズンでは、現在最強と言われるメルセデスエンジンで、GPシーズンを戦っていました。

その成績は、コンストラクターズタイトル5位、ドライバーズタイトルは、ジェンソン・バトン8位、ケビン・マグヌッセン10位と言う結果でした。

最強のエンジンを搭載しても、優勝争い出来なかったのは、マクラーレンのシャーシ開発に、かなりの問題があった事が伺えます。

ホンダだけがなぜ批判の的となるのか

マクラーレンホンダ不振の、全責任を負わされている形になっているホンダですが、これはマクラーレン側の、巧みなメディアへの対応によって作り出されています。

マクラーレンは、シャーシの性能不足には触れずにチーム低迷の責任は、ホンダエンジンのパワー不足と信頼性に、全ての原因があるとコメントしていますが、他のチーム関係者は違った見方をしています。

現在のF1はGPSを搭載し、コース上での位置が正確に把握出来るようになっています。

各マシンはドットとして、モニターにリアルタイムで映し出され、コーナーリングスピードやストレートスピードは、ライバルチームに瞬時に計算されてしまいます。

その解析されたデータから、「シャーシがもう少しマシなら、もっと上位に来てもおかしく無いはずだ」とチーム関係者は話しています。

マクラーレンの、レース毎に持ち込む空力パーツの多さから、MP4-30の空力面での熟成不足は関係者には周知の事実です。

では、何故ホンダばかりが、チーム不振の責任を取らされているかと言うと、対外的なマネージメントを行える人物が、現在のホンダF1チームにはいないからなのです。

自分たちが置かれている現状を、正しく外部に向けて情報発信し、F1チームとも対等に渡り合え駆け引きが出来る、かつての桜井淑敏氏のようなチームマネジャーがいない事で、ホンダが責任をとらされてしまっています。

マクラーレンホンダ黄金時代も急に訪れた訳では無い

ホンダのF1挑戦2期目の、「アイルトン・セナ」、「アラン・プロスト」を配して、GPシーズン全16戦中15勝の圧倒的勝利を収めた、マクラーレンホンダ黄金時代は、輝かしい歴史ですが、それも急に訪れた訳ではありません。

ホンダF1挑戦2期目の始まりは、1983年にスッピリットホンダとして、F1に参戦したのが始まりです。

1981年に欧州F2を席巻し、チャンピオンを獲得したホンダが、次に狙うF1制覇に向けて、順当にステップアップを図って来ました。

しかし、スピリットホンダ201Cは、ベースがすべてF2のものになっていて、6戦に参加して最高の成績が7位という結果に終わりました。

このF1参戦で得たデータを元に、シャーシはスッピリットを諦め、よりF1経験の長いウィリアムズと組み、F1挑戦を続ける事になるのです。

1984年より、ウィリアムズホンダとして参戦するホンダのエンジンは、まだF2ベースからの発展型で信頼性に欠け、ウィリアムズのFW09のシャーシも、ホンダエンジンを積むための専用設計では無く、84年は1勝しただけでシーズンを終了しました。

翌1985年は、ウィリアムズのシャーシ開発も進みFW10に発展します。

FW10は、ホンダのターボエンジンを搭載する前提で設計がされたマシンで、ホンダもシーズン途中からは、F1専用設計とも言えるロングストローク型のエンジンを投入しました。

シーズン前半は耐久性の確保が課題となり、「早いけどすぐ壊れる」と他のチームからは揶揄されていました。

しかし、「最後まで壊れずに走り続けられたら脅威だと」、懼れられていたのも事実です。

85年は4勝を上げてシーズンを終了しています。

続く1986年は、ウィリアムズのシャーシとホンダエンジンの進化はさらに進み、シャーシはFW11に発展し、ホンダRA166Eエンジンはとてつもないパワーを発揮し、シーズン9勝を上げ、ホンダ初の、F1コンストラクターズチャンピオンを獲得しています。

1987年は、ホンダにとって念願の、F1シリーズチャンピオンを獲得した年となりました。

ウィリアムズのシャーシは、FW11Bへと正常進化しホンダエンジンはRA167Eと進化を続け、ターボエンジンの規制が進む中でも、予選仕様で1000馬力を絞り出す高出力は他を寄せ付けず、GPシリーズ9勝を上げドラーバーズタイトル、コンストラクターズのダブルタイトルを制しています。

そして、1988年はマクラーレンホンダとなり、熟成された最強のエンジンは、当時最高の出来と評されるマクラーレンのシャーシに乗せられ、「アイルトン・セナ」、「アラン・プロスト」の天才ドラーバー2人を配して、圧倒的ポテンシャルを見せつけGPシーズンを席巻しました。

1983年の挑戦から5年の歳月をかけて達成した偉業です。

 名門マクラーレンのシャーシが鍵を握る

冒頭でも触れていますが、ホンダF1挑戦2期時代は、資金があれば開発、テストが自由に出来た時代で、今日のような厳しい規制は掛かっていませんでした。

ホンダは連日のように、鈴鹿サーキットでテストを繰り返し、次々と改良型のエンジンをF1の現場に送り込んでいました。

それでも、シリーズ優勝するまでには4年、さらに頂点を迎えたのが翌年の5年目で、そこまでの月日が必要だった訳です。

今日では、厳しい規制が存在する為に、新規に参入するものにとっては、それまでのノウハウの蓄積が無いために、データの蓄積を開発テストで補う事が出来ず、競争力を早急に確保するのは難しい状態になっています。

そのような中でホンダは、2015年シーズンの反省を元に、2016年はエンジンの大幅な設計変更を行い、パワーアップと信頼性を向上させたエンジンを投入し、昨年より良い結果を出すでしょう。

しかし、それにはマクラーレンの、シャーシの出来が大きく鍵を握っています。

かつては、Fダクトと言われる革新的な技術を持ち込んで、表彰台の常連だったマクラーレンですが、近年は思うような結果を残せていません。

マクラーレンホンダ浮上の鍵は、マクラーレンのシャーシが、トップチームと肩を並べるまでにレベルアップが果たせるかに、大きなポイントが掛かっていると言えそうです。

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